前回、2回にわたって、山下達郎さんのソロ・デビュー・アルバム第1作目の『CIRCUS TOWN』について、あれこれと自由に書きました。
今回、ブログ記事第3弾目は、山下達郎さんのセカンド・アルバム『SPACY』を特集します。
アルバムの発売順に特集するのも、なんか良いかもですね。
このアルバムも、コアなファンにとっては絶対外せないアルバムなはず!
僕の個人的な山下達郎さん楽曲ベスト10の中には、このアルバムから数曲あるくらい、このアルバムに収録されている曲は、耳の肥えた音楽通をも唸らせるほどだと、自信があります!笑
いつか、『Yusei が選ぶ、山下達郎の楽曲ベスト10』と題したブログ記事を書いてみようかな(余談)
ということで今回も、何回かに分けて山下達郎さんのセカンド・アルバム『SPACY』について、つらつらと綴ってみようかと思います。
1977年に発売された、山下達郎さんのセカンド・アルバムだよ!
『CIRCUS TOWN』のアルバムで得たノウハウを活かし、発売されたセカンド・アルバム『SPACY』。
このアルバムは全曲レコーディングは日本で行われ、スタジオ・ミュージシャンも全員日本人で構成されています。
ちなみに、このアルバムに参加している日本人のスタジオ・ミュージシャンの面々、知っていますか?
さっと見たら、知っている名前がちらほら。。。約50年前のことです。
日本人のスタジオ・ミュージシャンでこんなに豪華な人たちを呼んでレコーディングしたなんて、当時は思いもしなかったんじゃないでしょうか。
もはや、スタジオ・ミュージシャンなんて言ってしまって良いのか、なんか失礼な感じがしますね。
だってスタジオ・ミュージシャンって、アーティストの後ろでサポートする、ある意味裏方みたいな立場なので。
要するに、山下達郎さんは自分のレコーディングに参加させるミュージシャンの目利きがすごいということなんだと、個人的に思います。
当時はまだ駆け出しのアーティストでも、実力がかなりあって、いつかは売れるくらい能力を秘めた人たちをいち早く発掘し、自分のレコーディングに呼んでいたんでしょう。
元々、大瀧詠一さんのハッピーエンドに関係する仲で、セッションをよくしていた関係性もあるんだろうと思いますが。
細野晴臣さんや坂本龍一さんは、のちにY・M・O(イエロー・マジック・オーケストラ)としてヒットし、誰もが知っているアーティストになりますよね。
坂本龍一さんは音楽活動以外にも、俳優業をやったり、執筆活動をやったりと多岐にわたって幅広く活躍されましたね。日本からまた1人、偉大な方がいなくなってしまったことは残念でなりません。
村上秀一さん(別名:村上ポンタ秀一さん)や佐藤博さんなども、他のソロとして活動しているアーティストのサポートメンバーとして、数々のレコーディングに名を残しています。
佐藤博さんはご自身で歌を歌って、キーボーディストだけでなく歌手としても活動されていましたね。
ま、こんな具合で、このアルバムの外側から見た時の凄さをお分かりいただけましたでしょうか。
今では絶対に考えられない凄すぎるスタジオ・ミュージシャン参加によるレコーディングと、前作の『CIRCUS TOWN』のアルバムで得たノウハウを活かし、発売されたセカンド・アルバム『SPACY』。
ここまでつらつらと書いてきましたが、まだまだ話のネタが多いため、vol.1 はこのへんで終わります。
次回、vol.2 として後編を自由気ままに書こうかと思います!
Bye!